両国国技館/相撲、プロレスの聖地♬座席表を片手にマス席を探せ★※アクセス情報

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両国国技館/相撲、プロレスの聖地♬座席表を片手にマス席を探せ★※アクセス情報

両国国技館とは

100年以上の歴史

1906年6月着工、3年後の1909年6月に開館となった先代の国技館は、現在地とは異なり京葉道路沿いの本所回向院の境内に設置されていた。大相撲の興行を目的として立てられた施設であり、会館まもなくの6月場所より使用された。「國技舘」の名称は、作家の江見水蔭が開会式の再に執筆した案内文にヒントを得て付けられたという。

両国国技館の歴史

1917年 館内の火の不始末により全焼

1909年の会館後大相撲ファンの聖地となった国技館だが、1917年1階の売店横の消化壺から出火し火災へと発展し全焼した。その被害総額は現在のお金で約9億円に相当するとされ、火災保険の補償額はその約1割に過ぎなかった。初代国技館焼失から再建までの間は、靖国神社の境内に仮小屋を建てて大相撲を執り行った。

1923年 関東大震災によりほぼ焼失

再建策は焼失の喪失感の中すぐに持ち上がり、新国技館は1918年7月に着工、1920年1月15日に開館式を開く次第となった。1920年9月1日から使用が開始された。しかし、関東大震災の被害で屋根や柱等外観の一部を除く全てを焼失。再興から3年にも満たないうちに国技館は再度建て直しを強いられることになった。

1945年 東京大空襲により再焼失

東京のほぼ全域を襲った東京大空襲の被害は国技館をも巻き込み、国技館は再び焼失した。そのため1945年5月の本場所は神宮外苑で青空の下開催されることが決まったが、長期化した空襲や宮中喪で延期され6月に決行された。このとき招待されたのは傷痍将兵だけであり、これは日本相撲協会の興行史上唯一の本場所非公開開催である。

敗戦後国技館はメモリアルホールとして改称・改装された。メモリアルホールとして知られていた間大相撲の興行は禁じられ, 1945年11月に開かれた本場所がこの国技館で開かれた大相撲の最後の場所となった。以後1952年に国際スタジアムに売却されボクシングやプロレスが開かれ、1958年には日本大学に譲渡され日大講堂となった。この際、この日大講堂は1968年から1969年の間の日大全共闘の基地ともなった。老朽化のため1983年に解体されるまで、国技館は20世紀激動の日本を映し出す舞台となり続けた。

両国国技館の見どころ

新国技館の完成と大相撲

現在の新国技館は1985年の本場所より使用が開始された。総工費150億円、キャッシュで支払ったという。落成式の際は、千代の富士と北の湖の両横綱による三段構えが披露された。この新国技館、大相撲の本場所や引退相撲等で相撲協会が使用する他、新日本プロレスの決勝戦や高専ロボコンの全国大会の会場ともなる。

新国技館で大相撲が見られるのは1月の本場所、5月の夏場所と9月の秋場所の年3回。国技館内には20軒の案内所があり、入場券や食事の手配を引き受けたこの案内所はそれぞれが屋号を持って『お茶屋』と呼ばれた。現在お茶屋の名称は使用されていないが、案内所を通して入場券を購入すると袴姿の『出方さん』が出迎え席まで案内してくれる。

両国国技館住所、電話番号

住所〒130-0015 東京都墨田区横網1-3-28(国技館内)
電話番号03-3625-2111
最寄り駅JR総武線・両国駅 都営地下鉄大江戸線・両国駅
公式サイトhttp://www.kokugikan.co.jp/index.html http://www.sumo.or.jp/
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