日清戦争/眠れる獅子の正体は…

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日清戦争/眠れる獅子の正体は…

眠れる獅子に挑む

明治維新から30年足らず

日本が、武士が支配する封建社会から近代国家へと生まれ変わる革命が1868年の明治維新。それから30年足らずの1894年、アジアの超大国とされてきた中国(当時は清という帝国)に戦いを挑むことになる。日本が明治維新に踏み切った原因の一つは、イギリスと清が戦ったアヘン戦争。欧米列強にしだいに浸食され、麻薬で国民が堕落していくさまに、このままでは日本もそうなる、という意識が日本の若者たちを突き動かしたという。明治維新の最大の功労者の一人高杉晋作はみずから上海に渡り、その実情を見聞きした。しかし、中国は大国。欧米列強も、中国を「眠れる獅子」と呼び、本気を出されては困るという恐怖心を持っていた。

朝鮮半島をめぐる争い

日本と清が対立したのは朝鮮半島の李王朝をめぐる問題。歴代、中国王朝は朝鮮を属国として扱った。清の使節が朝鮮の首都を訪れる際には、朝鮮の王は地面に頭をこすりつけて出迎えねばならず、王位継承権や外交も中国の言うがままという状態。しかし、ロシアの南下政策や欧米列強の中国進出は日本にとっても脅威であり、日本は防壁として朝鮮を自分側に置きたいと考えた。当時の李王朝は腐敗と混乱の極みにあり、日本と中国の間で右往左往するばかり。

日本軍事力の勝利

綱引きから開戦へ

日本と清を主軸に、ロシアやイギリスも隙あらば介入しようとする状況の中、朝鮮李王朝をめぐる綱引きが10年以上続いた。1894年、朝鮮では農民による反乱が勃発、日本と清はいずれもこれを鎮圧するために出兵、日清両国は武力衝突となり、宣戦布告して日清戦争が開戦。

戦争は海と陸とで戦いが繰り広げられる。豊島沖海戦を優勢に戦った日本は、陸では成歓の戦い、平壌の戦いで勝利し、決戦は中国が誇る北洋艦隊と日本の連合艦隊の黄海海戦に持ち込まれました。日本海軍は全艦が被弾したものの沈没はなし、北洋艦隊は5隻が沈没、6隻がタ大破、中破するなど壊滅的な打撃を受け、さらに陸上でも旅順攻略など、日本軍は快進撃を続けた。ついに1895年3月、中国は事実上の白旗を掲げ、日本の山口県下関での講和会議が始まり、日本は朝鮮半島、中国大陸に大きな権益を得ることになる。

日本国民はこの大勝利に酔いしれたものの、冷水が浴びせられる。ロシア、ドイツ、フランスが、日本が領土として得た遼東半島を清に返還するように迫ったのだ。これを「三国干渉」と呼ぶ。まだ、この三国に対抗する力がないと判断した政府は、まさに涙を飲んでこの要求を受け入れた。

なぜ、勝利できたのか

日本は明治維新の際に戊辰戦争という内乱を戦った。当時は産業革命直後だったこともあり、陸では、新しいライフル銃や機関銃、最新式の大砲、海では鉄鋼船を駆使した世界史上初の近代的戦争といっていいものだった。さらに、その後に起きた、西南戦争などの武士による反乱では、徴兵された農民を中心とした新しい軍隊が実戦経験を積みました。戊辰戦争を戦った若者たちは、この頃、脂ののりきった司令官、艦長クラスとなっていた。一方、中国は武器や軍艦といったハード面では日本を上回ったものの、兵士も将校も士気が低く、命を賭けて戦う者はごくわずか。中国は「眠れる獅子」ではなく「死せる豚」と嘲笑されるようになり、清帝国の命運も尽きていくことになる。

下関講和条約の史跡

日本と清国の講和会議は山口県下関市の春帆楼という料亭で開かれました。現在は料亭は近代的なビルとなり、ふぐのおいしい店として全国的に有名ではあるものの、講和会議が行われた建物は日清講和記念館として保存されている。

日清戦争のトリビア 「新島八重」

近代日本初の対外戦争となった日清戦争では多くの兵士が大砲、小銃によって負傷しました。彼らは応急措置を受け、日本の広島の軍病院で治療を受けました。戦場での負傷は通常の外科治療とは違う。特にひどい負傷については治療にあたる看護婦も勇気と覚悟が必要だった。その若い看護婦たちを指導したのは、かつて明治維新の際、新政府に抵抗する勢力として戦った会津藩の女性たちとされる。彼女たちは会津若松城に兵士とともに立てこもり、何万発という新政府軍の大砲による攻撃を受けながら、兵士らの治療にあたった。とりわけ新島八重は、その戦争で看護ばかりでなく、七連発のライフル銃を撃ちまくり、自ら指揮して大砲を放つなど、日本のジャンヌ・ダルクとも呼ばれた女性。

彼女は明治維新以後、京都に移り、日本で最初のキリスト教の理念に基づく大学を設立した新島襄の妻となった。夫の死後、赤十字の活動にも力を尽くした。彼女は日露戦争でも同様に若い看護婦たちを指揮し、のち日本の民間女性としては初めての勲章を受けている。日本は明治維新後、その当時の対立を乗り越えて、国民が団結していった。

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