二条城/見どころは入館前!? ランチを済ませてから拝観がオススメ!

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二条城/見どころは入館前!? ランチを済ませてから拝観がオススメ!

太平の世から近代化へ 二条城の概要

激動の時代を見つめた二条城

京都市にある城、二条城は徳川家康が征夷大将軍としての位を与えられた儀式「将軍宣下」から徳川慶喜が明治天皇に政権返上を行った「大政奉還」までを、江戸時代の始まりと終焉を見届けた場所である。

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は政権の中心を江戸に置きながら上洛の際、宿所として二条城の築城を決める。城と言えば何重にも重なってそびえ立つ天守が真っ先に思い浮かぶが、二条城には天守が見当たらない。もちろん二条城にも1606年に完成した立派な天守はあったものの、1750年に落雷によって焼失、1788年には大火によって京都の町が焼き払われると本丸御殿や隅櫓などに飛び火して焼失した。二条城は徳川家光が最後に入城して以来将軍を迎え入れることがないまま229年間、将軍の宿所という本来の目的で使われることがなかった。そのため破損部分は修理が行われたが、焼失した部分については再建されることなく幕末を迎えることとなる。

二条城と徳川家康

徳川家康は100年以上続いた戦乱の時代に終止符を打った歴史上の人物で、日本人であればその名を知らない人はいないというくらい重要な人物。

1542年に地方豪族の子として生まれた家康は、幼名を「竹千代」と言い今川義元の下で人質として暮らす日々を過ごす。桶狭間の戦いに敗れた今川家の元を去ると三河に戻るが、まもなく一向一揆が起こり危うく徳川家が滅亡の危機に瀕するなど不遇な青年時代を送る。

多くの武将がそうであったように、戦をして勝つこともあれば負けることもあった。天下分け目の関ヶ原の戦いで、豊臣家についた武将たちを打ち破ると、数年後には豊臣家を滅亡に追い込む。祖父の代から家康本人に至るまで数々の裏切りにも遭ってきた苦労人で、臣下を統制するために無駄なことは言わず慎重な態度を取ったと言われ、家臣たちの中には「何を考えているのかわからないほど口数が少ない」と評したものも多かった。過去の経験の数々が家康を天下人にしたのかもしれない。

家康は天下人になった証として二条城を築き、自らの威厳を示したのではないだろうか。

将軍の宿所でありながら放置され続けた二条城

二条城は洛中の城ということもあって防御面についてはあまり考えられていない。かつて存在した天守は江戸城や大坂城名古屋城のように層塔式であった。家康の時代に作られた天守は、3代将軍家光の時代に伏見城に移され、新たな天守が作られた。

現在、二条城と呼ばれて多くの人の目に触れている建造物は二の丸御殿で、家光の時代から放置され荒廃していたという。14代将軍徳川家茂が上洛の際に改修を命じる。

時代は幕末。朝廷の要請で再度上洛した家茂は二条城に入り長州藩の処分のために兵を出すと(第二長州征伐)大坂城へ移動。ほどなくして病に倒れると、1866年に生涯を終える。これを受けて15代将軍となった徳川慶喜は二条城において将軍を拝命の宣旨を受ける。しかし1867年に徳川慶喜は将軍職を返上する。これが大政奉還である。日本が近代化の道へ歩む第一歩が二条城において行われたのである。

世界遺産・京都二条城拝観料

二の丸御殿の内部

二条城は京都旅行の目玉としても有名で、修学旅行先に選ばれることも多いスポット。拝観料600円(一般)を支払うことで内部の見学も可能だが、一般に公開されているのは二の丸御殿のみとなっている。実は2007年までは本丸御殿の公開も不定期で行われていたが、耐震性の問題もあって現在は公開されていない。

東大手門をくぐり右斜め前に位置しているのが二の丸御殿。二の丸御殿は塀に囲まれているため南側の唐門から入る必要がある。二の丸御殿の玄関に当たる「車寄せ」の欄間には鸞鳥や松、ボタンなど美しく豪華な装飾が際立つ。欄間の彫刻は裏と表とでは柄が異なり、それぞれの装飾をじっくりと見比べてみたい。

車寄せのすぐ後ろにあるのが「遠待の間」。二条城を訪れた大名の控室だった。実は徳川家康と成長した豊臣秀頼が会談したのも「遠待の間」であったと言われている。

朝廷から勅使(天皇からの使者)が来た時に対面したと言われているのが「勅使の間」で、上座に勅使、下座に将軍が座った。

このほかに「老中の間」があり、城に来た大名に老中が挨拶を行い、将軍への持参品を取り次ぐのもこの部屋で行われたという。

用途や目的によって異なる部屋が使われたということがわかる。

歴史が大きく動いた二の丸御殿

徳川慶喜が諸大名に大政奉還を宣言した歴史的な場所が二の丸御殿の「大広間」。一の間から四の間という4つの部屋から構成されており、二の丸御殿の部屋の中では最も格式が高い部屋と言われている。一の間は大政奉還が宣言され、二の間は御水尾天皇が行幸した際に能の所見が行われた。三の間は主に大名の控室として使用され、四の間は上洛した際に将軍が武器庫として使っていた部屋である。

さらに二の丸には「黒書院」と「白書院」という部屋が設けられており。「黒書院」は関ヶ原の戦い前から徳川家の家臣であった大名や、徳川家一門、親藩の大名が将軍と対面する間であったと言う。部屋の規模はそれほど大きくないため、将軍と親しい間柄であった人の対面の場であったことが伺える。一方「白書院」は将軍がプライベートな時間を過ごすために作られたと考えられており、寝室や居間があるなど落ち着いた雰囲気の部屋となっている。黒書院の襖絵が美しく豪華であるのとは対照的に、白書院の襖絵は落ち着いた水墨画でまとめられている。

幻の本丸御殿と天守

前述したように耐震性の問題から現在一般公開されていないが本丸御殿についても少し触れておきたい。元々本丸御殿は二の丸御殿と同等の大きさを誇っていたが、雷によって焼失した後、再建されることはなかった。徳川慶喜が住居とするため新しく建てられたが1881年に撤去されてしまう。現在二条城内にある本丸御殿は旧桂宮邸御殿を移築したもので、二条城とは関係のない建物である。皇女和宮が2年弱暮らした邸宅でもあり1893年から1年間かけて移築された。内部の公開は行われていないが、本丸御殿の南側には洋風庭園があり、時代の移り変わりを感じることもできる。

そして城といえば天守!現在の二条城には天守は存在しないが、清流園のあるあたりに望楼型で5重天守があった。天守の誕生時期は家康の時期に建てられたとされており、一説によると大和郡山城から移築されたものではないかという見方もあり謎も多い。しかし家康の作った天守は家光の時代に淀城に移築され、本丸の南西に新たに伏見城の天守が移築された。1750年に落雷で焼失するとそれ以後天守の再建は行われず天守台だけが残された。

天守台の上に天守が再建されることはなかったが、幕末に高層の火の見櫓が建っていたことを示した古い写真が残されている。

必見!二条城の庭園と国宝・重要文化財

築城当時からある二の丸庭園

二条城を観光の目的に3つある庭園をゆったりと散策をオススメしたい。二条城にある3つの庭園はそれぞれ作られた時代が異なり、それぞれに趣がある。しかしすべての庭園に足を踏み入れることができないため、特徴と注意事項を説明しておこう。

築城と同時に作られたのが二の丸庭園。造園の名人と言われた近江小室藩初代藩主の小堀遠州の代表作と言われ、別名「八陣の庭」とも言われる。二の丸の外観に合わせて作られたと言われており書院造り庭園となっている。神泉蓬莱の世界を表して作られたと言われ、御水尾天皇の行幸の際に一度改修されている。大広間や黒書院など3方向から庭を眺めることができる。

二条城に将軍がいないという時期が229年も続くと、当然庭園も荒れ果てる。徳川慶喜が入城した際には池は干上がり周囲に樹木は見当たらない状態であった。二の丸庭園が本来の姿を取り戻したのは大政奉還後に管轄省庁が宮内省に決まってからで、今日まで5回ほど改修されて現在に至る。

「本丸庭園」と「清流園」

本丸にも庭園は存在したが、本丸御殿が焼失した時に飛び火で庭園も焼けてしまう。慶喜の住まいを作った時に同時に作られた庭園は1881年の撤去と同時に取り壊されてしまう。

現在の本丸庭園は旧桂宮邸を本丸に移築した際に改めて作られたもので、当初は枯山水風庭園として作られたが、明治天皇が行幸する際に芝生を敷き詰め樹木を配置した洋風の庭園となっている。洋風とは言っても敷石や灯籠など和風の要素も随所に取り入れられており、曲線的な路がさらに落ち着いた雰囲気となっている。

時代がさらに進み昭和に入ってから作られたのが創建時に天守が建っていた場所にある清流園。天守が焼失してからは役人の居住地として住居群が存在した。しかし江戸時代が終わって明治期に入ると住居群は取り壊されて緑地として生まれ変わる。

国宝や重要文化財が盛りだくさん

二条城は「古都京都の文化財」として1994年に登録された世界遺産のひとつである。さらに二の丸御殿の6棟は国宝に指定され、数々の重要文化財を有する貴重な城。自分の足で見て回ることのできる場所には足を運んでおきたい。何と言っても二の丸御殿は国宝だらけのスポットと言っても過言ではなく、京都観光をするなら外せない場所のひとつと言ってもいいだろう。二の丸庭園も国の特別名勝に指定されているため、併せて楽しみたい。

二条城へ行くならココをチェック!

桜の季節はライトアップ

二条城へ行くなら是非催し物がある時期を狙っていくのがおススメ。毎年桜の季節を迎える時期にはライトアップが行われ昼間の光景とはひと味違った二条城を堪能できるほか、和太鼓の演奏やお茶の席が設けられるなど楽しむも多い。特に物産店などが人気となっており、春の夜の京都を存分に楽しめるだろう。

ライトアップは一般公開とは別に18時から21時までとなっているが、一般公開の時間に訪れた人は一度外に出て再度入場料を支払って入場する入れ替え制になっている。ライトアップ時間内は二の丸御殿や庭園、本丸庭園には行くことができないため注意が必要。

実はライトアップ時間に和装で入場すると入場料が無料になるなどお得な情報もあるため要チェック!

ヤマザクラやサトザクラ、シダレザクラなど豊富な桜が約380本もある。桜のライトアップはもちろん幻想的だが、足元に照らされるほのかな光も美しい。

二条城で行われるイベント

二条城秋の祭りに「二条城お城まつり」がある。この祭りは歴史こそ浅いが普段見ることのできない貴重なものが公開されるなど見どころも満載。「清流園」は普段一般に公開されていないが、祭り期間中は特別に公開される。期間中すべての日程で公開されているわけではないが、普段見ることができない貴重な光景を楽しみたい。

体験といえば人力車に乗って場内を回ることもできれば、火縄銃の実演ができるなど迫力満点のイベントも盛りだくさん。新しい祭りではあるが二条城観光をするならおさえておきたい。

二条城アクセス、各種案内

二条城へのアクセス方法として一番便利な方法は公共交通機関の利用。JR京都駅を下車した場合、市バス9、50、101号系統を利用すれば「二条城前」で下車すればいいので大変便利。さらに京阪電鉄の三条駅で地下鉄東西線に乗り換えればバスに乗ることなく二条城にたどり着く。

自家用車を利用する場合は京都東インターチェンジ、京都南インターチェンジとも25分から30分程度で到着する距離だが、駐車場は有料で2時間800円、以降1時間ごとに200円が追加されるので注意したい。

気になる入城料金は一般600円、中学生と高校生が350円、小学生が200円となっており、1月7月8月12月の毎週火曜日が休城日となっている。午前8時45分に開城するが二の丸御殿は9時から16時までの観覧が可能。

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