彦根城/観光、ランチは城下町から♬玄宮園の桜、紅葉と博物館を探索☆※アクセス、駐車場

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彦根城/観光、ランチは城下町から♬玄宮園の桜、紅葉と博物館を探索☆※アクセス、駐車場

彦根城とは

家康の天下取りを全力でサポートした武将

「国宝4城」といえば姫路城と松本城、犬山城と彦根城のことを指す。彦根城は1600年の関ヶ原の戦いで功績を挙げた井伊直政が彦根山を利用して平山城を建てることを計画するが2年後の1602年に志半ばでこの世を去る。家督を継いだ井伊直継はまだ幼少であったが、家老が徳川家康と相談した上で現在の場所に城を建てることを決め、直政の没後2年に着工し、約20年という歳月をかけて作り上げた城である。

関ヶ原の戦いで徳川軍に属していた井伊直政は、当初石田三成の居城であった佐和山城へ入城する。しかし佐和山城は石田三成が善政を行っていたこともあり、領民の間には三成のことを慕う人々が大変多かった。直政は佐和山城の勢力を一掃すべく、佐和山城の廃城を決め建造物は彦根城へ移築、その他のものは徹底的に破壊したと言われる。井伊直政が彦根城に移ることなく亡くなったことは、三成の呪いであるとも言われ、そのために徹底的に破壊されたのではないかと噂されることもあったのだとか。

井伊直政 波乱万丈の生い立ち

井伊直政は1561年今川家の家臣・井伊直親の嫡男として生を受ける。井伊直親の父は今川義元に仕え桶狭間の戦いで討ち死にし、直親自身は直政が1歳の時に今川氏真によって誅殺されるなど今川氏との因縁が強い家柄。父の直親が亡くなった時にあまりに幼かったこともあり、中継ぎとして後に直政の養母となる直虎が当主となるも、生母が再婚することによって家督を継ぐことができなくなる。しかも直政自身はその後も今川氏に命を狙われるという日々を送りながら暮らしていた。

そんな直政に転機が訪れたのが1575年のことである。養母直虎に育てられながら暮らしていた直政を徳川家康が見出し、正式に井伊姓を名乗ることが許される。その後は徳川家康の小姓となり、家康の身の回りの世話を行うようになる。中継ぎとして当主を代行していた養母直虎がこの世を去ると、正式に井伊家の家督を継ぎ、22歳の元服と同時に井伊家第24代当主となり名を直政に改める。さらに同時期に徳川家康の養女であった花を正室に迎え徳川氏との結びつきを強固なものにさせていくのである。

名武将 惜しまれつつこの世を去る

井伊直政は徳川家康のピンチを救うなど数々の功績を立て、さらに精鋭部隊の大将となるなど武将として諸大名から恐れられるようになるなど戦いのセンスと抜群の政治手腕を発揮し、次第に家康の判断を仰がずとも直政の命によって戦をするかしないかが決まるまでの信頼を得ることとなる。このことは豊臣秀吉にも高く評価され、地位を確固たるものとしていく。

豊臣秀吉の死後、徳川家康と石田三成の関係が悪化すると、黒田如水・長政親子を始め多くの武将を徳川派に組み入れるなどの手腕をいかんなく発揮し、時には家康のピンチを機転を利かして救うなど文字通り生涯に渡って徳川家康に仕えた。

関ヶ原の戦いで直政は鉄砲による傷を負うが戦は徳川軍の勝利で幕を閉じる。大怪我を負いながら事後処理を精力的に行い、直政自身は三成の居城のあった佐和山藩を与えられて佐和山城へ入城する。そして彦根へ居城を移す計画を立てている矢先、関ヶ原の戦いで受けた鉄砲傷がもととなり、破傷風によって激動の生涯を閉じる。三成の呪いだという噂を聞きつけると、家康は三成に関するすべてのものを徹底的に廃した。

彦根城の歴史

父の夢を叶えた息子たち

井伊直政が志半ばで亡くなると、徳川家康は佐和山藩を廃し代わりに彦根藩を置く。これまでの18万石から35万石へと拡大していくこととなり、彦根藩は19世紀末の廃藩置県まで大いに繁栄することとなる。直政の嫡男直継は直政が亡くなった時まだ幼く正式に家督を継いだが後に抹消されたと言われている。変わって彦根城を完成させたのは直継の弟で直継の後に家督を継いだ直孝であった。

井伊家は関ヶ原の戦い以後、初代当主の直政から直継、直孝と当主が交代するが、彦根城は1604年の築城開始から徳川家康の後ろ盾で周辺大名の多くが動員されて築かれる。周辺の城に使われていた廃材が使われたリサイクルの城としても知られ、西の丸三重櫓門は長浜城の天守、天秤櫓門は大手門を移築したものである。もともと長浜城大手門は小谷城の資材を用いて作り、長浜城の天守は小谷城の天守の廃材を用いたものである。そう考えると、彦根城は小谷城の遺構ということになる。さらに太鼓門櫓は佐和山城の、天守は大津城の資材が用いられて作られた。まさにエコの城と言える。

美しさに隠された戦いへの備え

彦根城天守の魅力は出目と歴史だけではない。彦根城を見るために訪れた人の多くが口を揃えて言うように、美しい外観が特徴と言える。高さ自体は21メートルとそれほど大きなものではないが、破風を組み合わせることによって作られた変化のある屋根や、最上階の高欄などは美しさと珍しさなどさまざまな要素が組み合わされている。通し柱は使われておらず、各階ごとに建物が積み上げられた形となっており、戦のために壁に鉄砲穴が設けられるなど、外見にこだわっただけでなく実戦向きの城でもある。鉄砲穴は外部からは見ることができず、内部の階段は恐ろしいほど急な傾斜。これは登ってくる敵を蹴落とすことができる構造になっている。石田三成亡き後もいつ挙兵するかわからない豊臣秀頼を意識して作られているということがわかる。

単に実戦向けというだけではなく、鯱瓦や唐破風などに金箔が使われるなど装飾面にもこだわりが見て取れる。唐破風の飾金具は良く見ると井伊家の家紋があしらわれているので目を凝らして見てみたい。

戦国時代の要素が多い

彦根城で注目したいのが天守台に使われている石垣である。一見粗雑に積み上げられたように見える石垣は、「牛蒡積」と呼ばれる手法で行の長い天然の意思を加工して積み上げている。ごぼうのように細長い石を土塁に差し込んで石を積み上げるため非常に頑丈で崩れにくいという特徴がある。

彦根という場所は山と湖の間にある狭い平地に位置しているほか、中山道と北陸道が合流する地域であり数々の歴史的な戦が繰り広げられた場所。戦略的にも重要な拠点であったことから、丹羽長秀や羽柴秀吉、石田三成や井伊直正といった名だたる名武将がこの地に配置されてきた。リサイクル城などと呼ばれ、一見頑強さとは縁遠いようにも思えるが、防衛機能や攻撃機能に秀でた、近世城郭においては珍しく戦国的な要素を持っている城と言える。その証拠に西の丸と出曲輪の間には大堀切、山麓部に見られる登り石垣は5か所あり、さらには竪堀が5本あるなど中世城郭の名残が随所に見受けられる。中堀や外堀で城下町を形成するなど、近世の城郭らしさも持ち合わせる。

彦根城の特徴

重要文化財は必見

重要文化財に指定されている建造物は天秤櫓、太鼓門櫓、西の丸三重櫓、二の丸佐和口多聞櫓、馬屋。馬屋は彦根藩主の馬が繋がれていた場所で、馬屋が残されているのは全国的に見ても珍しく、城内に残っているのは彦根城だけ。

天秤櫓は時代劇の撮影にも使われているが、天秤秤のような形状をしていることから名づけられた。

春の桜は夜桜で

春の彦根城は天守や現存建造物の美しさとともにお堀沿いを中心にして咲く約1,200本の桜が見事に咲き乱れる。櫓の白壁にピンクの花びらが映え、お堀の水に写り込む光景は絶景。夜間はライトアップが行われるなど幻想的な雰囲気を醸し出し、姿を変えることなく激動の歴史を歩んできた彦根城が幽玄な世界へと変化していく。毎年見ごろを迎えるころに桜まつりが開催され、特に夜桜見学が人気。

な城と言えるだろう。

彦根城の奇跡!?

次々に廃された名城

明治期の廃城令で全国各地の城郭が廃される中、なぜ彦根城が現在まで残されたかについて少し触れておきたい。廃城令とは、時代が江戸から明治に移り、全国の城郭はすべて陸軍の財産として管理され、城郭の建造部から石垣、樹木に至るまですべてを整理、処分させた。軍用の財産として残す価値があると認められたものを「存城」とし、それ以外は「廃城」すなわち大蔵省が管理し処分したとされる。

当初、彦根城は「廃城」となる予定であった。たまたま彦根を行幸していた明治天皇が美しい城を見て城を保存するように命じた影響で、1878年の10月に通達が出され、彦根城を保存するよう滋賀県に通達を出した。文化財を後世に残すという概念はなかったことから多くの貴重な建造物が破壊された。福島県の会津若松城などのように「存状」とされていたが陸軍の練兵場を造営する目的で建造物が破壊されてしまった例や、一部を取り壊し、天守などの主要建造物のみ残され、そのほかは取り壊された姫路城などの例もある。

数々の偶然と奇跡が国宝を生む

彦根城は滋賀県でも桜の名所として知られているが、これは1930年に入ってから植樹された比較的新しい桜である。彦根城は徳川幕府にとって非常に重要な役割を果たしていた城であるにも関わらず桜の木が植えられていなかった。奇跡的に残された歴史的にも重要な城に桜がないというのはなんとも寂しい、と考えた当時の町会議員はソメイヨシノ1,000本の苗木を植樹する。春になると美しい天守の横に咲くソメイヨシノを見ることができるのは、約80年前の町会議員のおかげとされる。

日本が太平洋戦争の戦況の悪化に喘ぐ1944年、これまで彦根城を所有していた井伊家は彦根城と彦根城の一帯を彦根市に寄付する。1945年8月15日、実は連合軍は彦根市を夜間爆撃する予定で準備を進めており、日本がポツダム宣言を受諾しない、もしくは終戦が1日でも遅れていたら、現在の彦根城はなかったかもしれない。先の大戦では広島城のように、比較的良好な状態で現存していたが連合軍によって破壊された城も多くある。さまざまな奇跡とも言える偶然が重なったことで、彦根城は当時の面影を見せてくれている。

築城した直孝もビックリ!?

近世以降に作られた城の中で天守が現存しているのは12城。中でも彦根城をはじめとして、松本城と犬山城、姫路城の4つの城は国宝に指定されている。彦根城は国宝に指定されたのは1951年のことで、天守とともに附櫓と多聞櫓の2棟も国宝に指定された現存建造物と言えども経年による劣化は避けられず、1957年から1960年にかけて国宝の天守と櫓が修理され、次いでそのほかの重要文化財も解体修理が行われる。

各所の修理や補修は平成時代に入っても定期的に行われ、彦根城の特徴と美しさを400年間保ち続けている。さまざまな城の資材を再利用して作られた「リサイクル城」がこれほどまでに長く美しい姿を保ち続けているとは井伊直孝も想像していなかったのではないだろうか。世界遺産への登録を目指した取り組みなども行われており、我々の次の世代にまで美しい姿を見せ続けてくれるはず。

彦根城のエピソード

幕末の大老が青春を過ごした場所も

彦根城址はのんびり歩いて90分程度の散策ができるようになっており、馬屋をスタートに天秤櫓や時報鐘、太鼓門櫓などを経由して天守、黒門へと進むコースがスタンダードなコースとなっている。黒門を過ぎると「楽々園」と呼ばれる藩主の下屋敷と庭園が姿を現し、4代藩主の井伊直興が作った屋敷を見ることができる。「楽々園」は後から呼ばれるようになった名称で、正式には「欅御殿」という。国の名勝にも指定されており、工夫を凝らした部屋の数々が特徴。

散策の最後は「玄宮園」で締めくくりたい。「玄宮園」も直興が造営したもの。近江八景に琵琶湖をプラスさせた景色を模した庭園で、近江八景とは石山秋月、勢多夕照、粟津晴嵐、矢橋帰帆、三井晩鐘、唐崎夜雨、堅田落雁、比良暮雪の8つを表す。いずれも滋賀県南部にある風景や作品で、中国の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんだものとされている。また、コースには含まれていないが、「埋木舎」と呼ばれる佐和口御門に近い中堀に面した質素な屋敷は、幕末の名大老と言われた井伊直弼が藩主となるまでの若き日をここで過ごした。井伊直弼は

「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」

という和歌を詠み、自ら「埋木舎」を名付けたと言う。

彦根といえば「ひこにゃん」

彦根城といえば近年ではゆるキャラ「ひこにゃん」でも有名。なぜネコなのか、という疑問を多く持った人も多かったようだが、彦根城を完成させた井伊直孝が現在の東京世田谷豪徳寺を訪れた際に、白い猫が手招きしているのを見て近寄ったところ直孝のすぐ近くにあった大木に雷が落ちて命拾いをしたという伝説にちなんだもの。彦根城に行けばほぼ毎日ひこにゃんに会うことができ、記念撮影をする人の姿も多く見られる。

ゆるキャラのパイオニア的存在である。2006年2月に公募によって「国宝・彦根城築城400年祭」のキャラクターとして決まり、4月には愛称が「ひこにゃん」と決まる。愛称決定の4月13日が誕生日として広く知られ、現在もキャラクターグッズは人気となっている。彦根や井伊家にまつわる歴史やエピソードを絡めたキャラクター設定も次々と生まれ、ひこにゃんをきっかけに彦根城や日本の城に興味を持ったという人も多い。

撮影スポット

天守の特徴をしっかり撮影

彦根城を撮影するなら、現存天守は外せない。撮影は天守の斜め前からが最も美しく写るスポットとされ、特徴的で変化に富んだ破風の違いをひとつひとつ撮影するのもいいだろう。

内部を撮影するなら大黒柱や梁の枠組みなどを要チェック。当時の築城技術を後からでもしっかりと見ることができそう。

玄宮園庭園からの景色は彦根城でも1.2を争う美しい眺めが見られるため、一番気に入った景色を狙うのもおすすめ。

城下町を歩く

彦根の街は近代化しながらも城下町の面影を色濃く残しており上級武士の長屋門、足軽屋敷なども見ることができる。城下町の景色は味があり、思わずカメラを構えてしまうこともあるだろう。

道の食い違いやT字路、袋小路などもそのまま残されており、現代の交通事情では不便だが当時の面影を知る上では貴重なものとなるだろう。城や建造物ばかり撮影するのも悪くはないが、当時の生活を知る上では面白い素材となるだろう。

彦根城アクセス

交通アクセス

彦根城へ行くにはJR彦根駅から徒歩10分ほど歩くことになる。国宝でもある天守を一目見ようと歩いて行けば、あっという間に辿り着く。見て楽しみ、知って納得。1日いても飽きないのが彦根城である。

併せていきたいこんな場所

政庁として使われていた屋敷が表御殿となりますが、現在は復元されて彦根城博物館として井伊家に代々伝わる古文書や美術工芸品などが展示されている。能舞台や庭園なども整備されているので、彦根城と併せて当時の生活に思

おすすめホテル情報

交通アクセスを重視して宿を選ぶ人も多いだろう。彦根駅から徒歩1分という立地が魅力の「コンフォートホテル彦根」。利便性はもちろん清潔感のあるきれいなホテル。自転車の無料貸し出しが行われており、市内をサイクリングで回りたい人におすすめ。

彦根城に近い場所に宿泊したいなら「彦根キャッスルリゾート&スパ」がおすすめ。ロケーションが最高と評判で天守を眺めながら大浴場に入ることができ、お風呂上りのサービスも充実した人気の宿。

いを馳せてみてはどうだろう。

彦根城住所、電話番号

住所滋賀県彦根市金亀町1-1
電話番号0749-22-2742
最寄り駅JR彦根駅
駐車場あり
休日年中無休
営業時間8時30分~17時
料金一般600円 小中学生200円
トイレあり
公式サイトhttp://www.hikoneshi.com/jp/castle/
アクセスJR西日本彦根駅から徒歩10分
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